「子供に尊敬される親になりたい」
これが最終的な夢です。
僕は母子家庭で2年前、実父が死んでしまいました。
死因は「心筋梗塞」糖尿病が大きな原因でした。
正直、父が死んでホッとしました。
なぜなら、父が生きていることで多くの方に迷惑をかけていたからです。
小学生の頃、父は地元の有名な山の管理会社に勤務しておりました。
肩書は「部長」
電車以外で陸を走るものならなんでも運転できるほど、乗り物に関して凄腕でした。
雪が大変積もるところで、冬はよくスノーモービルに乗せてもらったのを覚えています。
収入も一般的な会社に勤めるサラリーマンの2,3倍ほどもらっており生活には困らない暮らしでした。
家族の中もそこまで良いというわけではないですが、朝、夜ご飯をみんなで食べるごく普通の家族でした。
そんな暮らしを変えたものそれが【お酒】です。
中学生の頃になり、徐々に父が会社に行かなくなりました。
休みを返上してまで働く仕事好きだったのが一変し、部屋に籠るようになってしまったんですね。
部長という役職なため、業務連絡は電話でしておりました。
当時流行っていた冬のソナタなどの韓ドラを見て、お酒を飲み続ける毎日です。
その時すでに「アルコール依存症」、アル中になっておりました。
アルコールには依存性があり、ちょっとしたストレスなどのきっかけでお酒を飲まずにはいられない状態になってしまいます。
次第に暴力を振るうようになり一番被害を受けたのは母親でした。
殴る蹴るなどのDVですね。
お酒によって、自らのコントロールができなくなってしまうのです。
少しでも、お酒をやめさせようとお酒や財布を隠すなどしておりました。
しかし、クレジットカードの再発行などをしいくらでもお酒を買うお金を用意できていました。
会社に行かなくなると、暇になりますので色々なところに電話をし罵倒や怒鳴りつけることが常日頃。
お酒を買いに行く服装は、白いTシャツに股引で自分の父親だと思われるのがすごく恥ずかしかったです。
中学3年の頃、夜中寝ている母や自分のドアを叩いたり、しまいには、ハンマーを持ってきてドアを壊し始めました。
死の危険性を感じ、母と共に家を出ることにしましたね。
見つからないように遠く離れたところに引っ越し、早く死んでしまわないかなと本気で思ってました。
それからは、車にはねられたり、患っていた糖尿病が進行し入退院を繰り返しておりました。
引っ越してからは、初めから父はいなかったと思いこんでましたね。
それらのことによって父が死んだことに対し、悲しいというよりもホッとしました。
父は会社の重役で、多くの方と交際があったにも関わらず、葬式に顔を見せてくれた方は、身内と親戚くらいしかいませんでしたね。
「その人の振る舞いにより、これほどまでに関係性が変わってしまうのか」と正直驚きました。
仲がいい友達の家族を見るとすごく羨ましかったですし、「将来は子供に尊敬されるような父親になろう」と強く思いました。
仕事ができ、社会的なステータスがある職場では慕われる存在になる家族と旅行にたくさんいけるほどの時間、お金の余裕を作る子供がやりたいと思ったことをできる環境を作る
最終的には、死んだときに本気で泣いてくれる人がたくさんできるように尊敬される人になりたいと強く思っています。